山山杯 発足を祝して 山田耕二
昭和36年(1961)3月中旬、日本体育大学は四国愛媛県松山市内の新田高校で春合宿を行った。 関商工前監督の山口正昭氏の母校であるが、山田耕二は名古屋市立工芸高校を卒業したものの(18歳)大学への入学式前で、神戸から関西汽船の夜行で今治経由松山新田高校入りした。 入学前の新人候補者山口・山田2人だけがこの合宿に強制参加させられた。 レギュラー選手の相手をする2軍で、夜明け前みかん畑の早朝マラソンを終えて、朝食後の午前練習、休む間もなく午後の1~2軍戦に入れられて、地獄の合宿を死ぬ思いで頑張りぬき終了した。 合宿後2人は日体大選抜選手に入れられて、翌年開催される国体開催地山口県へもご褒美の遠征をした。 この苦しい合宿で彼からのアドバイスや、助けてくれたのが今でも忘れることが出来ません。感謝のはじめです。 晴れて入学後は同クラス、チームメイトとして四年間の合宿所生活。部活では早・慶・明などと秩父宮で対戦してきた。 山口氏は卒業2年目昭和41年(1966)から関商工で、山田は昭和49年(1974)から西陵の監督に就任したが、その頃山口監督率いる関商工は全国大会常連校でベスト4から優勝を狙うチームであったので、その手の内は参考になることばかりであった。 その後、山田が西陵在職29年間もお互い切磋琢磨しながらも東海大会や花園出場回数でライバル関係であったが、平成15年(2003)3月定年を期に、ついにノーサイドとなった。 なんと50年間もお世話になったことになり、感謝の一言につきる。 そして今回、両校OB有志と両現監督で話がまとまり、平成22年(2010)6月山山杯発足の運びとなった。 山口・山田の元監督は喜びを隠しきれない感激である。 心からお礼申し上げます、ありがとう。 この定期戦が末永く継続されることを祈念するものです。 |
定期戦設立に寄せて 山口正昭
今回、全国優勝も経験している名門西陵高校との新設定期戦につきまして、心からお祝い申し上げます。 このお話を受けまして、退職してすでに8年が経ち田舎で晴耕雨読の生活をしていました私も、急に温かい物が全身に流れてきました。 「ありがとうございます」大学の同級生でもあります、名将山田耕二先生のご指導で頂点まで昇りつめた西陵商高は、岐阜の田舎チームにとりまして当時挑戦する最大の目標でした。 しかし、その厚い壁に何度も跳ね返されたものでした。 それでも時に油断をして我々に勝利をプレゼントしてくれましたが・・・その翌年は悲惨なものでした。 山田先生が西陵商高を退職するまで私は彼を超えることはできませんでした。 しかし、彼の頂点を極めた喜びは私の喜びでもありました。 同じ東海地区に居て、彼と切磋琢磨した思い出は今も私の宝物となっています。 西陵商高は、その後「西陵高校」と校名を変更され、又山田先生の御子息、山田和正先生の着任で更にパワーアップをされましたので、近々二度目の全国制覇も見えてきた感じがします。 一方関商工高は、少子化やラグビーブームが去り、レギュラーメンバー数を集めるのがやっとの時代を迎え苦闘の時代を低迷しています。 しかし、「情熱のあるところに歴史あり」といわれますように、今回の定期戦を誘因にOB・現役が一体となり再建に取り組んでほしいと願っています。 最後になりましたが、西陵高OB方々の山田先生への感謝の気持ちがこのような形になったと思います。 我々を懐かしくお誘いいただいた御事に心から感謝を申し上げます。 そして、この定期戦を双方で「より善い」大会に盛り上げていただきますことを念じましてご挨拶とさせていただきます。 「平凡な一日とは、与えられた環境で懸命に戦った一日のことである・・・」と申します。 「ラグビーの素晴らしい友情」に乾杯しましょう。 皆様のご活躍を合わせてお祈り申し上げます。 |
山田耕二 プロフィール
昭和17年(1942)、名古屋市中区生まれ。名古屋市立工芸高校から日本体育大学へ。高校と大学はフォワードで活躍。 昭和38年20歳、大学2年生の時、日本代表メンバーに最年少で選ばれて、戦後初の海外遠征(カナダ)に参加して初トライをあげる。 大学在学中は、関東大学リーグ戦(秩父宮ラグビー場)で早・慶・明と戦って、全日本学生代表や全関東代表選手でもあった。 昭和40年(1965)、日体大卒業と同時に愛知県に戻り、名古屋市立菊里高校夜間定時制に勤める傍ら、昼間に南山大学、名城大学、名古屋栄養短大(現文理大)などで非常勤講師を務める。 その後、向陽高校に3年間勤めた後、昭和49年、前監督(花園13回出場)の退職を期に、西陵商高監督に就任した。 翌50年、題55回全国高校ラグビー大会(山田花園初出場)から、29年間に19回出場して(愛知県大会では21回優勝、抽選で2回出場を逃した)現在西陵は花園通算38回出場している。 なかでも、第76回大会は11年連続16回目出場で(西陵通算29回目)で全国制覇を果たした。 (平成9年1月7日)例年、男子入学者20~30名足らずの悪条件のなか、ラグビー部員は全校男子生徒の約半数で、幾多の困難を乗り越えて、切磋琢磨して指導していた。 平成15年(2003)3月定年退職し、(財)名古屋市教育スポーツ振興事業団の瑞穂ラグビー場に勤めたが、平成17年4月(2005)から、㈱豊田自動織機ラグビー部シニアディレクターに就任し、企画運営面と採用活動で活躍した。 18年3月から総監督として、平成20年度(2008)からは採用強化部長として関東・関西の大学生から外国選手まで幅広く足を運び、スカウト活動をしながらコーチ陣に強化アドバイスをした。 平成22年(2010)に、トップウエストからついにジャパントップリーグ(スーパーフォーティーン=14)に自動昇格した。 |
山口正昭 プロフィール
経歴 | 昭和17年7月3日 長崎県 新田高~日体大~岐阜教員(関商工) |
ラグビー歴 | 高校3年間~花園(当時は西宮G) 出場~3年時ベスト4進出 大学(日体大) 日韓スポーツ交流(戦後初)の訪韓(S38) 岐阜教員チーム所属(S,43~47まで国体5連覇) |
監督歴 | 関商工高校ラグビー部、花園出場監督22回(ベスト4・1回、ベスト8・4回) 東海大会優勝15回 高校ジャパン10名育成・(その中4名ジャパンとなる) 高校東西対抗(2000年) 関西代表監督 全東海対NSW高校代表戦監督(S50) |
賞 | 岐阜新聞、優秀選手賞・特別優秀選手賞、指導者賞 教育委員会表彰 他 中日スポーツ賞(2000年) |
山山杯について
山山杯とは名古屋市立西陵高等学校と関市立関商工高等学校のラグビー部との間で今年6月13日に新規で始まった定期争奪戦で、西陵高ラグビー部の元監督の 山田耕二先生と関商工ラグビー部の前監督の山口正昭先生の苗字の一部をとって山山杯と命名されたもので、日本体育大学の同級生同士、それぞれの高校で長き に渡って指導にご尽力された両先生方への感謝の気持ちと今後の両高校のいっそうのレベルアップを目的としており、来年度以降も継続して開催します。 第1回山山杯争奪定期戦は関商工ラグビー部OB会の皆さま等の絶大なるご協力によって、現役同士の対抗戦だけでなく、OB同士の交流戦や懇親会も行い、懇親を深めながら、記念大会を盛大にとり行うことができました。 西陵高ラグビー部OB会が開催予定の来年度の第2回山山杯争奪定期戦につきましては、第1回山山杯以上に盛大に開催できるように計画を進めてゆきます。 |
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