創立50周年に寄せて
2010 年 10 月 11 日
第2期 川崎道夫
創立50年、誠におめでとうございます。
OBの一人として、あの全国制覇の瞬間は自分の人生を通じて最高の感激でした。血沸き肉躍る至福を感じました。あの素晴らしいフィフティーンの健闘に心から感謝を申し上げます。
さて、50年前のわが西陵フィフティーンを振り返りますと、県内の強豪は一宮高、一宮商高をはじめ、旭丘、菊里、瑞陵、・・・で、私達は名古屋市内、ベスト4あたりが最高の成績だったかと思います。いつかは地区のトップになるんだとは思っても、その上は望むべくもないレベルでした。そこで創部当時を少し思い出してみます。
1949年春。学区制により、名古屋市立西陵高等学校普通科2年に転入学して来た私達は4クラス、160名ほどの学年でした。
小学校4年生以来、男女席を同じくせずの教育でしたから、幼友達を交えた男女共学のクラス編成は初ぶな私達にとって、面映ゆい、スリルのある学期始めの印象が強く残っています。
そんな中で、旭丘から転入の幅君(現OB会長)と松蔭から転入の吉田君が中心となって、部員募集の呼び掛けが始まりました。ボールも無い。ジャージィも無い。スパイクシューズも無い。ゴールポストも無い。何も無い! 野球部や陸上部の連中との共用の、小石混じりの固くて白いグランドがあっただけのスタートでした。
創立期の私達が唯一、なによりの功績と自負することはラグビー部の部長に横地孝彦先生をお迎えしたことです。ちょうど、私のクラス1組の副担任で、世界史を教え、剣道部の部長だった国学院大学出身、新進気鋭の先生に「俺は剣道の他は知らん!」「ラグビーなんか喰ったことも無い!」と断られながらも、このバイタリティー溢れる師の他にラグビー部の顧問はいないと初志貫徹したとこを思い出します。
その先生の人徳で、当時あった工業科3年生の久野渉初代OB会長、入谷潤、大橋一夫の3先輩、奥田好弘君や下級生の入部も実現し、最初の西陵フィフティーンの土台が出来ました。
末尾になりましたが、横地先生には最近、ご健康がすぐれず、お顔を拝する機会が少ないのが気になります。50周年のイベントは横地先生にとって、なににもまして、嬉しいお祝いであると存じます。
西陵の皆さん! 益々の健闘を祈ります。